トライアンフ ボンネビルの名前の由来とは

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トライアンフの代表的なモデル「ボンネビル」。この名前がアメリカ・ユタ州にある塩の平原「ボンネビル・ソルトフラッツ」に由来することをご存じの方は多いでしょう。しかし、なぜバイクの車名に地名がつけられたのか、その背景を詳しく知っている人は意外と少ないかもしれません。この記事では、ソルトフラッツでの速度記録とトライアンフの関わり、そして車名として定着していった経緯を整理します。

ボンネビル・ソルトフラッツとはどんな場所か

ボンネビル・ソルトフラッツは、ユタ州北西部に広がる巨大な塩の平原です。地表が硬く平坦で見通しが良いため、20世紀初頭から自動車やバイクの最高速度記録に挑戦する場として使われてきました。現在も「スピードウィーク」と呼ばれるイベントが毎年開催され、世界中のチューナーやメーカーが記録更新を目指して集まります。

この場所が持つ「速さの象徴」というイメージが、後にトライアンフの車名選定に大きく影響することになります。

トライアンフと速度記録の関わり

1956年、テキサス出身のライダー、ジョニー・アレンがトライアンフ製エンジンを積んだストリームライナー(空力カウルを持つ記録挑戦専用車)「テキサス・シーガー」で、ボンネビル・ソルトフラッツにおいて214マイル/時(約345km/h)を記録しました。当時としては驚異的な速度です。

ただしこの記録は、国際的な統括団体との間で認定をめぐる争いが生じ、公式記録としての扱いが揺れたという経緯があります。認定の可否や当時のやりとりの詳細は資料によって記述に差があるため、深く知りたい方は個別に確認することをおすすめします。

いずれにせよ、この挑戦がトライアンフというブランドに「速さ」のイメージを強く結びつけたことは確かです。開発責任者エドワード・ターナーはこのアメリカでの成功にちなんで新型モデルを命名し、1958年秋のアールズコート・ショーで発表、翌1959年から販売が始まりました。

車名としての「ボンネビル」誕生とその後の変遷

こうして登場した「ボンネビルT120」は、650ccの並列2気筒エンジンを搭載し、当時のロードスポーツモデルの中でも高い性能を持つバイクとして知られるようになりました。この初代ボンネビルの成功により、「ボンネビル」はトライアンフを代表するモデル名として定着していきます。

その後、時代とともにモデルチェンジを重ね、現在では「ボンネビルT100」「ボンネビルT120」といった名称で現行ラインナップに受け継がれています。現行モデルは排気量900cc〜1200cc前後のクラスに位置し、クラシックなスタイルを保ちながら現代的な装備(ABSやトラクションコントロールなど)を備えているのが特徴です。シート高や車両重量はグレードによって異なるため、購入を検討する際は公式サイトで最新スペックを確認することをおすすめします。

車名の由来を知っておくと、単なるレトロなデザインのバイクとしてではなく、速度記録に挑んだ歴史を背負ったモデルとして見え方が変わってくるのではないでしょうか。

おすすめアイテム

車名の由来ひとつを取っても、トライアンフには掘り下げるほど出てくる背景があります。歴代モデルの変遷やブランドの歩みをまとめて眺めたい方には、トライアンフの本(RIDERS CLUB編集部 / エイムック) のようなムックが手がかりになります。写真とともに車種の系譜が整理されているため、この記事で触れたソルトフラッツの逸話のような断片を、ブランド全体の流れの中に位置づけながら読み進められます。

まとめ

  • 「ボンネビル」の名は、1956年にジョニー・アレンがユタ州ボンネビル・ソルトフラッツで記録した214マイル/時に由来する
  • 1958年発表・1959年発売の「ボンネビルT120」から車名として定着し、現在も現行モデルに受け継がれている
  • 現行モデルのスペックは年式・グレードで変わるため、購入検討時は公式サイトで確認するのが確実

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